後で一悶着あった。
三島に戻ってから、妻が生八ツ橋を買ってくれたかと問うので、
ちゃんと買った、二箱も買ったと見せると、ずいぶんと小さな
箱だが、まさかあんた餡を包んでない生八ツ橋じゃ?というので
だから生八ツ橋というから生八ツ橋を買ったまでのことと答えた。

ほれ!餡無し!!!!
つまり、妻にとっては餡を包んであるのが生八ツ橋のデフォの姿で
あるのに対し、僕にとっては餡を包んでいないのがデフォである。
だから、生八ツ橋を買ってこいといわれたら、包んでないのを買って
当然。餡を包んであるものを希望したとて、特にその旨指示なき以上、
僕にとってデフォの生八ツ橋を買うのが必定。
ならば、餡を包んであるのはなんと呼ぶのかというと、さぁ?
「生八ツ橋で餡こをつつんであるん」とでも呼ぶしかあるまい。
因みに『おたべ』というのは固有名詞・製品名であって、あれが
京都の八ツ橋の一般的な姿ではない。
そもそも、「八ツ橋」は焼き菓子なんやし、頭に生がついて初めて
やわらかい「生八ツ橋」となる。
生八ツ橋で餡を包むというアイデアの元祖はどの店かは知らないが、
餡を包んだ生八ツ橋一般を指す名称は無いように思う。
でもなんだか、『おたべ』が有名すぎて、八ツ橋=『おたべ』と
思いこんでいる人も多いのかもしれない。
因みに、僕はずっとここのを食っている。

「元祖八ツ橋 西尾為忠商店」
ここのはあの忌々しい真空パックではない。店頭で注文してから
箱に詰めてくれたり、餡コ入りなら注文してから餡を包んでくれる。
店は清水寺や銀閣寺にもあるそうだが、新京極の店しか知らない。
京都に八ツ橋屋は色々あるが、ここのんが好きやね。


